愛を引っ込めない 

ルミナス

2012年06月07日 11:10



今日は、本田健さんのエッセイの中で、私の心の琴線に触れ、

私が「今を生ききる」ために、日々生活するなかで

いつも私の心に留めている「言葉」&エッセイを紹介したいと思います。


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愛を引っ込めない

アメリカにいたころ、友人に誘われて、キリスト教会に行きました。

初老の牧師さんが説教を始め、聴衆に話しかけました。

「あなたが死ぬときに、後悔することは何だと思いますか?」

しばらくの間、自分なりに考えました。

「何だろう?」

「好きなことをやらなかたことかな~」

「もっと人生を楽しんでおけば良かったと思うのかな~」

などと考えました。彼は静かに続けました。

私が一番後悔するだろうと思うこと、 それは愛を引っ込めたことだと思うのです。

 和解しなくてはと思っていたのに、そのまま亡くなった父親。

 仲直りをしようと思っていて、音信普通になってしまった親友。

 ねぎらいや感謝の言葉を伝えたかったけれど、別れてしまったパートナー。

 愛を示せたのに、気恥ずかしさと面倒くささで、愛をひっこめたこと、それを一番悔やむでしょう

  
彼の話がきっけとなり、忘れていた情景が急にありありと甦りました。

それは、それより十年ほどもまえ、私が小学生だったときのことです。

夏の暑い日に、母親と近くのスーパーに行きました。

ちょうどベトナム戦争が終わったときぐらいで、多くの難民の人たちが神戸に来ていて、

そのときも東南アジアの国から来たらしい家族連れが、スーパーにいたのです。

私より小さいくらいの兄弟が、アイスの冷蔵ケースにつかまって、

物欲しそうに中を見ていました。それを見て

「この子たちは、アイスが欲しいんだな。でも、買ってもらえないんだ」とすぐに分かりました。

そのとき、「そうだ。お母さんに言って、買ってもらってあげよう」と思いました。

走っていって、母親を見つけたまでは良かったのですが、なんといっていいのか分からず、

もじもじしてしまいました。

そうこうしているうちに、先ほどの兄弟が、お父さんに引っ張られ、

スーパーから出ていってしまうのが見えました。


ほっとするとともに、後悔の念がわきました。私がもう少し勇気を出していれば、

あの兄弟にアイスをあげられたのに。でも、そのほんの少しの勇気がだせなかったのです。

あのことは、いま思い出しても、チクッと胸が痛みます。

彼らにとって、心細い外国で、自分が示せたかもしれない親切心は、

どれほど彼らを勇気づけてあげられたでしょう。

その後も、頭ではわかっているのに、

何度、愛を引っ込めてきたことか分かりません。

そのたびに、あのときの牧師さんの声が甦ります。

「うまくできないときでも、自分を許してください。
 
 そして、次の機会には、もう少し勇気を持って、愛を表現してください。」


あなたは、これまで、愛を引っ込めたことがありますか?



 本田健 「きっとよくなる!」サンマーク出版より
 
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私もほんの少しの勇気がないために

「愛を引っ込めた」ことたくさんあります。

十数年勤めてきた仕事を退職して、自分自身や家族や子ども達と向き合ったとき

このエッセイに出会いました。

その頃は、「愛を引っ込めた」ことがいっぱいありすぎて、

このエッセイを読み返すたびに、胸がチクチク痛みました。

人生の折り返し地点を過ぎた!と感じた誕生日あたりから

「今を生ききる!」と決心して、

自分の心が重くなるような想いを持たないように、小さな後悔につながるような

「愛を引っ込める」ような行動をしないようにつとめてきました。


「愛」を表現して、相手が断っても、受け入れてくれなくてもOK。

私は「愛を引っ込めてない」し、

相手にも表現された「『愛』を受け取るか、受け取らないか選択する自由がある!」


と考えたら楽になりました。

「愛を引っ込めない」で表現した私は、そこで「。(ピリオド)」

完結してスッキリ!!!

ドリフの「次、行ってみよ~!」のノリで、

次の瞬間やってくる「今を生きる」ことができるようになり、

人生の展開がどんどん速くなってきています。


本田健さんのこのエッセイに出会えて、ほんと良かったと思っています。

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