愛を引っ込めない
今日は、
本田健さんのエッセイの中で、私の心の琴線に触れ、
私が「今を生ききる」ために、日々生活するなかで
いつも私の心に留めている「言葉」&エッセイを紹介したいと思います。
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愛を引っ込めない
アメリカにいたころ、友人に誘われて、キリスト教会に行きました。
初老の牧師さんが説教を始め、聴衆に話しかけました。
「あなたが死ぬときに、後悔することは何だと思いますか?」
しばらくの間、自分なりに考えました。
「何だろう?」
「好きなことをやらなかたことかな~」
「もっと人生を楽しんでおけば良かったと思うのかな~」
などと考えました。彼は静かに続けました。
「
私が一番後悔するだろうと思うこと、 それは愛を引っ込めたことだと思うのです。
和解しなくてはと思っていたのに、そのまま亡くなった父親。
仲直りをしようと思っていて、音信普通になってしまった親友。
ねぎらいや感謝の言葉を伝えたかったけれど、別れてしまったパートナー。
愛を示せたのに、気恥ずかしさと面倒くささで、愛をひっこめたこと、それを一番悔やむでしょう」
彼の話がきっけとなり、忘れていた情景が急にありありと甦りました。
それは、それより十年ほどもまえ、私が小学生だったときのことです。
夏の暑い日に、母親と近くのスーパーに行きました。
ちょうどベトナム戦争が終わったときぐらいで、多くの難民の人たちが神戸に来ていて、
そのときも東南アジアの国から来たらしい家族連れが、スーパーにいたのです。
私より小さいくらいの兄弟が、アイスの冷蔵ケースにつかまって、
物欲しそうに中を見ていました。それを見て
「この子たちは、アイスが欲しいんだな。でも、買ってもらえないんだ」とすぐに分かりました。
そのとき、「そうだ。お母さんに言って、買ってもらってあげよう」と思いました。
走っていって、母親を見つけたまでは良かったのですが、なんといっていいのか分からず、
もじもじしてしまいました。
そうこうしているうちに、先ほどの兄弟が、お父さんに引っ張られ、
スーパーから出ていってしまうのが見えました。
ほっとするとともに、後悔の念がわきました。私がもう少し勇気を出していれば、
あの兄弟にアイスをあげられたのに。でも、そのほんの少しの勇気がだせなかったのです。
あのことは、いま思い出しても、チクッと胸が痛みます。
彼らにとって、心細い外国で、自分が示せたかもしれない親切心は、
どれほど彼らを勇気づけてあげられたでしょう。
その後も、頭ではわかっているのに、
何度、愛を引っ込めてきたことか分かりません。
そのたびに、あのときの牧師さんの声が甦ります。
「うまくできないときでも、自分を許してください。
そして、次の機会には、もう少し勇気を持って、愛を表現してください。」
あなたは、これまで、愛を引っ込めたことがありますか?
本田健 「きっとよくなる!」サンマーク出版より
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私もほんの少しの勇気がないために
「愛を引っ込めた」ことたくさんあります。
十数年勤めてきた仕事を退職して、自分自身や家族や子ども達と向き合ったとき
このエッセイに出会いました。
その頃は、「愛を引っ込めた」ことがいっぱいありすぎて、
このエッセイを読み返すたびに、胸がチクチク痛みました。
人生の折り返し地点を過ぎた!と感じた誕生日あたりから
「今を生ききる!」と決心して、
自分の心が重くなるような想いを持たないように、小さな後悔につながるような
「愛を引っ込める」ような行動をしないようにつとめてきました。
「愛」を表現して、相手が断っても、受け入れてくれなくてもOK。
私は「愛を引っ込めてない」し、
相手にも表現された「『愛』を受け取るか、受け取らないか選択する自由がある!」
と考えたら楽になりました。
「愛を引っ込めない」で表現した私は、そこで「。(ピリオド)」
完結してスッキリ!!!
ドリフの「次、行ってみよ~!」のノリで、
次の瞬間やってくる「今を生きる」ことができるようになり、
人生の展開がどんどん速くなってきています。
本田健さんのこのエッセイに出会えて、ほんと良かったと思っています。
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